おく     ぬき     ゆう     ざん
奥貫友山

                     

江戸時代の儒学者・慈善家として知られる奥貫友山は、1705年入間郡久下戸村(現川越市)に
生まれた。
奥貫家は、代々名主を勤め、友山もまた村政に尽くした。
1742年8月関東一帯を見舞った暴風雨は、川越地方も大水害となり多大な被害をもたらした。
その際、友山は私財(米、雑穀、金銭)を投げうって川越領民の救済に勤めた。
川越藩川越城主秋元涼朝は、この行いをたたえ、褒賞を与えた。
その後も洪水のあるたびに慈善事業に尽くし、堤防を造るなど治水の面で功績を上げている。
このため明和元年(1764)に起こった中山道助郷騒動では、奥貫家だけが打ちこわしを免れたという。
県の旧跡に指定されている。友山は天明7年(1787)81歳で没した。

                               (参考:川越市秘書広報課ふるさと人物記、川越原人の川越雑記帳より)




 







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